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HOME > 上野駅ギャラリー
part1/part2
彼は僕を知らない、僕は彼女を知らない、この世の端と端であっても、すべての存在が等しく今という時間を生きている。
人間社会そのものを表現したかった。すべての人間は、社会の一部でありながら、その価値観も、境遇もそれぞれ異なる。いつ死ぬとわかっていながら、必死に生きている。それがとてもおもいろい事だと感じた。
part1/part2
ガラスという素材によって、光と影という宿命的なルールは破られ、全体のシルエットがより大きな意味を持ち、光の乱反射は神秘的な印象を放つ、そうしたガラスの持つ表現の美しさや、圧倒的な素材感は、私の想像力以上の価値を語ってくれる。 
part1/part2
ガラスによる鋳造作品。その非常に高い硬度と透明度を併せ持つ素材に対し、ある種宝石に似た魅力を感じる。素材自体の主張が非常に強いため、造形とのつながり(造形に対する素材選択の必然性)が最終的に作品にとって重要となってくる。
part1
壊れたもの、潰れたもの、失ったものに魅力を感じることがある。しかし、ものを生み出すことをする者にとって、それは大きな疑問でもある。そのことから、ものの存在の「始まり」と「終わり」という二つの面を提示した。技術としてはガラス板を炉で反らせ(スランピング)、その後に円形に切った。
part1
「ルビンの盃」を例としてわかり易い。何を知覚し、どこに視点を置くかにより、ものの見え方は違う。チェコ共和国の国境の形をモチーフにした。チェコがこの形をつくったのか、周りの国々がこの形をつくったのか。ものが成立するための主体の所在について考え、一つの形とそれを取り囲む形の二つをつくった。
part1/part2
「石膏」と「木」、「モデリング」と「カービング」という違う手法で制作した。「材質や技術が変われば形や方法は変わっていくべきである」と思いながらも、その作者の心的変容を抑制することで「でてしまう違い」という主体性を持たない変化に期待しながら制作した。
Part2
「写真ー絵画」「現実ー非現実」「自然ー人工」「事実ー虚構」「実在ー不在」「理論ー感性」…等といったそれぞれ対極にある項目をバランス良く一つの世界・空間に融合させ、どちらの意味とも解釈できる、またはどちらの意味とも言い切れない曖昧で中立(ニュートラル)な状態をつくる。
Part2
『私は現在、大学院で彫刻文化財を保存・修復するための技術と学問に取り組んでいますが、先人の造形を学びながら現在に生きるその狭間から、日常風景の中に溶け込んでいる物質と造形との関係に目が開いていくような気がするこの頃です。タイトルにある(基礎)とは、まずは足元から、という意識からです。』
Part2
人の流れる空間と人のたまる空間を分離しないこと、公共の領域と個人の領域が同じ空間上にあることを考える
Part2 
「世の中ってやつはぁ、腐りきっているんだ、まあ僕のガラスの中だけはきれいだけどね。僕は、井の中じゃあないよ。あいつらは好んであんな臭いところにいるんだからさぁ。」
「馬鹿だなぁ君ってやつは。ガラスはね〜、一見透明で世界の果てまで見とおせるだろ?でも実はそこからは決して出られないんだよ。自分が置かれている状況がわからないってのは、幸せ者だねぇ君ってやつは。」
part1/part2
全ての生命は縦(同じ生存形態をもつもの)と、横(異なる生存形態をもつもの)で繋がっていて、共存しなければ共に生きていけない存在だと思っています。全ての生命は、最後は同じ自然に還るけれど、自然に還る安心感・優しさと共に、今存在しているこの世から離れる不安感・悲しさがここに存在する限り必ずあると思います。生命の無限の繋がり・共存と、私の中にある思いを作品に表現しました。
part1
木の根と人の血管・木の皮と人の皮膚など、自然と人間の様々な部分が似ていると感じ、感じたそのままドローイングにしていました。しかしこの作品を描き始めた頃から、生命と全ての”存在”・存在しているもの同士の”永遠の繋がり”に深く興味をもち始めました。制作によって自分の心が変化した、1つの重要な作品だと感じています。
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