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HOME > 上野駅ギャラリー
「駅はその街の表玄関だ」と古い昔、先輩から聞いて久しい。とすると上野の駅は日本の東半分に住む人を出迎え、見送る東京の大玄関である。私にとっても父の故郷が越後は高田の在であったことからたぶん1933年夏には両親に連れられてこの地平ホームから木造客車に乗り、蒸気機関車に先導されて旅立ったはずである。以来、縁あって昭和20年代から30年代の半ばまで16年にわたり浦和に居住したこともあり、上野駅とは浅からぬ縁を感じている。さまざまな人びとがこの上野駅に集まり散じる様に、本当に多くの列車、車両もここに姿を見せてくれている。蒸気機関車から電気機関車へ、気動車から電車へ、木造車からステンレス車体車両まで、この駅にたたずむと日本の鉄道技術の進歩がひと目でわかる。浦和ではこの駅を発着したり、通過する多くの列車を見ることができて幸せだった。いまの私は地平ホームにたたずみ、欧州の主要駅の雰囲気をほのかに味わったり、杜の美術館やコンサートのアクセスとして、またひと休みする格好のアトレをのぞくなど大切な駅である。玄関はかくありたいものである。
(みやざわこういち/元・鉄道友の会専務理事)
  1. 常磐線下り平行列車。疲弊した木造客車の姿は痛々しい
(上野)1950年9月
  2. 大宮駅で折返し桜木町へ向かう京浜東北線電車。
先頭は駐留軍専用室に半分が充てられている。
整備も良く目立つ外観だった(大宮)1948年11月
  3. 京浜東北線の浦和と蕨間は昭和20年代は住宅の姿は
見られなかった。現・南浦和付近(浦和〜蕨)1948年10月
  4. 東京都電全盛のころ。アメリカの技術を導入した
PCCカーが品川と上野の間を走っていた (上野公園から)
1970年9月
  5. 戦後しばらくはこのような情景が各所で見られた。
米空軍指令本部が置かれた明治生命館入口
(丸の内)1947年9月
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