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 上野が山の手かと聞かれれば、それは違うと答えないわけにいかない。が、上野は下町かといえば、即答に迷う歯切れの悪さがある。というのも、小網町生まれの母親の伝によれば、下町とは日本橋や神田、そして銀座を指すのであって、それと麻布や青山などの山の手を除く地域は、なべて場末のひと言で片づけられていたからだ。
それでは、上野は場末なのか。
下町贔屓の母親は大きく頷くだろうし、本郷生まれの父親は首を傾げるに違いない。
アメ横や上野駅の周辺の雑駁な雰囲気はたしかに場末に属するものかもしれないが、一方で文化施設が軒を連ねる上野の森はアカデミックな空気と静寂に満ちている。不忍池の畔は明治の昔、元勲たちを集めて競馬が開催されたこともあるというし、それを見下ろす高台には岩崎弥太郎邸もある。
あえていえば、上野はさまざまな表情を持った街なのだが、写真好きだった父親にとっても、鉄道少年だった私にとっても、上野が魅力に満ちていたことは確かである。放課後、缶蹴りのメンバーが集まらない日は、決まって自転車を漕いで上野駅に出入りする列車を見に行ったものだ。
昭和40年代、年末になると駅前広場は帰省客のためのテント村に化し、夜行列車の席を取るために人びとは日の高い時分からぎっしりと列を作っていた。ところどころ、大きな荷物が列の番をしているのは、持ち主がアメ横に土産物の買い出しに行っている証拠である。奥羽本線の急行「津軽」が出世列車といわれたのもその頃だ。
下町なのか場末なのか。そんな詮索は別にして、父親にも私にも、上野がパラダイスだったことだけはたしかである。
(しいはし・としゆき)
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